『確率論と私』(伊藤清)

伊藤清*1の『確率論と私』を読み返しました.

伊藤清氏は日本の数学者で,伊藤の補題*2として知られる確率微分方程式の研究など確率論研究で有名です.そうした業績が世界的に評価され,国際数学連合が主催するガウス賞*3などを受賞されています.

確率論と私』は,その伊藤清氏が1978年から2006年に書いたエッセイを集めた書籍です.数学者になられた経緯や著名な数学者の追想などが収められています.

 

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今回読んでいて特に興味深く思ったのは「かわった学生」.

伊藤清氏がコーネル大学の大学院一年生に確率論の講義をされた際のエピソードです.

 

伊藤氏は講義の際,事前に完璧なレクチャーノートを用意しなかったそうです.そのため板書中に黒板の前で立ち往生してしまったり,途中で証明を間違えてしまっていることに気付いて黒板いっぱいに書いたのを全て消してやり直したりすることがあったんだとか.聴講していた学生の中にはそのようなスタイルに対して嫌な顔をする人もいたそうで,それを補うために講義後に整理したレクチャーノートを配布していました.

そんな伊藤氏の講義を受ける学生の中に,ノートをとらず,ときどき机の上に足を投げ出したりして,でもひたすら熱心に聴いている学生がひとりいました.

アメリカでは,定理は実際に使って初めてその意味を理解できるという意見が強いため,宿題を毎週五題ほど出すのが標準的だそうですが,その学生はノートをとらないため,講義後しばらくしてから配布されるレクチャーノートを頼りに取り組んできます.ただ,レクチャーノートの配布はたいてい講義から二週間ほど遅れていました.さらにその学生は自分で納得した定理しか使おうとしませんでした.そのため,その週の講義で扱った定理を使うと答案は三枚程度で済むところ,その学生の答案は二週間ほど遅れた知識をもとに,不十分な部分を自分で発見して証明を追記する必要があって,結果として七,八枚かかることが多かったそうです.

そんな彼を初めは単にかわった学生と思っていたそうですが,次第に見直し始めます.彼は毎回二週間ほど遅れた知識で問題を解いてきますので,これをそのまま続けて最先端まで勉強すれば,独創的な研究成果を挙げることが期待されると考えたためです.

そして実際,彼は優れた学位論文を書いて一流大学の助教*4のポストを得たんだとか.

その後,伊藤氏は彼と親しくなって当時の講義について感謝されます.伊藤氏はしっかり準備されていない自身の講義は欠陥講義ではないかと気にしていたそうですが,彼はむしろそのスタイルを歓迎していたそうで,

あなたのような講義の仕方によって,数学がいかに造られていくかがわかる

と言われたんだとか.さらに,彼の父親が東京出張の際にわざわざ伊藤氏を訪ねてきたそうで,

息子は子供のときから一寸かわり者であったが,あなたのお蔭で数学に心から興味を覚えた

とお礼を言われたそうです.

 

伊藤氏のようにレクチャーノートを事前にちゃんと準備せずにリアルタイムで行う講義に臨むというのはなかなか真似できない気がするのですが,一方でたしかに伊藤氏のスタイルには教育的な面もあるかなとは思います.

私も学生の頃に覚えている範囲で一度だけそういった講義を受けたことがあります.その講義は通常はちゃんと準備されたものでしたが,一度だけ先生*5がレクチャーノートを持参するのを忘れてしまい,そのままそらで講義されたことがありました.

内容はあまり覚えていないのですが,量子力学の講義で散乱問題ボルン近似を適用するといったものだった気がします*6.講義ではそこそこ計算が必要で,そらでやるのは大変そうに見えましたが,先生は基本的にさらさらと講義を進めていき,時々詰まった際には次元に注意しつつ,物理的解釈をふまえてこうなるはずなどと説明しながら乗り切っていたような記憶があります.それを見ていて,なるほど一連の流れはこうやって再構築していくことができるんだなと,いち学生だった私は感じていました.

学習する上で重要なのはインプットだけでなく良質なアウトプットを重ねることとされています.そのため,学習した内容を修得する上でレポートや演習などの機会はきわめて重要と考えられるのですが,それだけですと扱われている問題によっては全体像を見失ってしまう恐れがあります.

おそらくそこで重要になるのが,講義や書籍で出会った内容をうまく再構築してアウトプットする機会を自分なりに持つということなんじゃないかと思います.たとえば,講義終わりに学生控え室などで気の合う学友と質問し合うことや,新たに知ったことをまとめてブログなどに書き起こすことも,そうした目的に沿ったものかと思います.

そしてその形のひとつが,何も見ずに講義する,というものなのではないかと.ひと通り講義するとなると初学の際にはハードルが高い気がしますが,ある程度慣れてくればむしろそうやって負荷をかけることで定着しやすくなる気がします.

そして,完璧なレクチャーノートを用意しない講義というのは,聴講生に対してそうした再構築をする際の流れだったり注意すべき点だったりを体感してもらう場として意味があるかもしれないと思いました*7

 

確率論と私』では他にも,『解析概論』などを書かれた高木貞治*8の講義を受けた際のエピソードなどを記した「直観と論理のバランス」,フィールズ賞受賞者を2名*9輩出した数学者秋月康夫*10追想秋月先生の思い出」,旧制第八高等学校の恩師である近藤鉦太郎氏の追想近藤鉦太郎先生と数学」,京都賞を受賞された際の記念講演がもとになった「確率論と歩いた六十年*11などがとても興味深かったです.

 

大学の数学教師でよい教師とは如何なるものか,についても記されている「コルモゴロフの数学観と業績」もおもしろかったので少し感想を述べたいのですが,長くなる気がするのでそれはまた別の機会に.

 

 

*1:1915年9月7日-2008年11月10日.三重県出身.

*2:伊藤清氏が考案した,確率微分方程式の確率過程に関する積分を勘弁に計算するための方法.

*3:社会の技術的発展と日常生活に対して優れた数学的貢献をなした研究者に贈られる賞で,ガウスの生誕225周年を記念してドイツ数学会と国際数学連合が共同で設けた.

*4:現在の准教授なのでしょうか.

*5:たしか原子核物理を専門とされていた大塚孝治氏だったような.

*6:後でちゃんと調べて書き直すかも.

*7:私はどちかといえば完璧な(と思われる)レクチャーノートを用意した先生がじゃっかん熱っぽく語るような講義が好きでした.特に印象に残っているのは長谷川立氏の数理科学(常微分方程式)や横山央明氏の宇宙空間物理学,須藤靖氏の一般相対論あたり.ああいう講義は卒業してからもどこかでまた聴きたいなと思ってしまいます.当時はなかなか難しかったかもですが,現在なら秀逸な講義はどこかに動画として公開されたら同じ時代を生きる人々にとっての資産として高い価値がある気がします.そして人の好みはさまざまなので,多様な講義が動画としてもっと公開されて欲しい気もします.多様な講義といえば,和達三樹氏の統計力学もいろんな意味で秀逸な講義だったのですが,オフレコな内容が多かった気がするので今ならYouTubeメンバーシップ向けかもしれない笑.

*8:1875年4月21日-1960年2月28日.岐阜県出身.

*9:広中平祐氏と森重文

*10:1902年8月23日-1984年7月11日.和歌山県出身.

*11:受賞理由となった確率論研究の経緯だけでなく,伊藤理論が常識となった金融の世界への不安についても言及されています.