『モンスター銀河狩り』(谷口義明)

モンスター銀河狩り』を久々に読み返しました.遠方宇宙で形成途中にある銀河を赤外線やサブミリ波,可視光線といったさまざまな波長で観測した研究成果を紹介する一冊です.著者は東北大学愛媛大学などで銀河の観測研究等に従事されてきた天文学者谷口義明氏.これもまだ学生だった頃に読んで,読後感が良かったからかずっと本棚に残していました*1

 

モンスター銀河狩り(やりなおしサイエンス講座)| Amazon

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本書は谷口氏がこれまで取り組まれてきたいくつかの銀河研究について,その裏側のエピソードを交えながら紹介するようなものになっています*2

今回読み返す中でいくつか興味深いと思った点があったので以下にまとめておきます.

  

ケンブリッジでの滞在研究

1996年,谷口氏は東北大学助教*3だった頃に,半年間の外遊に出ました.いわゆるサバティカルというものでしょうか.谷口氏はハワイ大学とメキシコ国立大学に行った後,残りの三ヶ月間をイギリスのケンブリッジにある王立グリニッジ天文台で過ごしたそうです.

ケンブリッジは,ロンドンから電車で1-2時間,バスで2-3時間ほどのところにある人口10数万人の小さな町です.名門ケンブリッジ大学や,万有引力の法則などで有名なアイザック・ニュートンが通ったトリニティ・カレッジ*4マクロ経済学を確立したジョン・メイナード・ケインズなどを輩出したキングス・カレッジなど,たくさんの大学があることで有名です*5

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谷口氏は,ケンブリッジでの滞在期間は三ヶ月と短いため,たいして研究はできないかもしれないと最初は思っていたそうです.しかし,谷口氏は滞在を開始して,ケンブリッジという町の持つ「魔力」に気付きます.とにかく研究する以外ないというケンブリッジの「魔力」によって研究する雰囲気にうまく巻き込まれた谷口氏は*6,当時興味を持っていたウルトラ赤外線銀河など,さまざまな研究トピックについて集中して考えていきます.三ヶ月間,朝の7時から夜の11時までひたすら研究に没頭することで,たくさんの研究アイデアを得ることができ,その後3年間分の論文テーマができたんだとか*7

このエピソードを読んでいて,研究について重点的に考える機会を確保し続けることの重要性を再確認したように思いました.日々,講義や学生指導,大学の雑務,学会の雑務などに追われてしまうと,それらだけで何か仕事をしたような気になってしまって,研究についてちゃんと考える機会を確保することを忘れてしまう恐れがあるように思います.今はまだ良いですが,今後そうした研究以外の業務の比重が高くなってしまった際に,だんだんと研究から離れてしまって,いざ研究しようとしても戻りにくくなってしまう状況に陥る可能性は,少し上の世代の様子を見ていても低くないような気がしています.自分が主体となる研究より,他の人の研究をサポートするような立場に回ってコミュニティ全体に貢献したいというスタンスももちろんありだとは思うのですが,私はどちらかというと,細々とで構わないので興味あるトピックを研究し続けていたいと(少なくとも現在は)考えているので,研究用の時間はちゃんと確保しつつ,もしチャンスがあればこのときの谷口氏のようなまとまった期間を研究に捧げるようなことをしても良いのかもしれないと思いました.

昨今では天文学の分野も研究が大規模化しつつある印象があって,その中で期待されている王道のサイエンスが進められていくことももちろん重要なのですが,一方でその手があったかというようなユニークなトピックが発掘されることも重要かなと思っています.そのためには,研究者たちがそれなりにさまざまな可能性を検証したり考え続けたりする必要があると思ってて,そう考えるとサバティカルのような制度を多様な研究者たちが各々のタイミングで取得して,さまざまな観点から研究に取り組めることが重要なのかなとか思ったりもしました.

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銀河雑誌会での議論

赤外線やサブミリ波でダストに覆われた「モンスター銀河」を観測し続けていた谷口氏は,2000年代に入ると可視光での遠方宇宙観測にも従事するようになります.

その少し前の1999年には,ハワイ島に日本の大型*8可視光・赤外線望遠鏡であるすばる望遠鏡が建設されてファーストライトを迎え,共同利用が開始されました.谷口氏は,日本人としてせっかくすばる望遠鏡のアクセス権があるのだから,すばる望遠鏡で何か研究成果を挙げたいと考えていました*9

そのきっかけを求めていたある時,谷口氏は研究グループで行われていた「銀河雑誌会」で,ある天体の報告を知ります.「銀河雑誌会」というのは,研究グループのメンバーで週一回,担当者がarXivなどで見つけた新着論文の中からおもしろいと思ったものを簡単に紹介するセミナーのこと.

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紹介されていたのは,カリフォルニア工科大学のCharles C. Steidel氏らによって発見された,赤方偏移3.1(100億光年以上の彼方)にある水素のLya輝線で大きく広がった天体*10*11でした.

近傍の銀河の典型的な大きさは10万光年程度です.それに対してSteidel氏らが発見した天体は,100億年以上前の宇宙にあるにもかかわらず,その大きさは100万光年もありました.ただ,Steidel氏らの論文では,その天体がLya輝線で大きく広がっている物理的な起源についてはよくわかっていませんでした.

谷口氏は,この天体の起源について,この書籍の中盤で出てきた「モンスター銀河」の起源を説明するスーパーウィンド・モデルと呼ばれるアイデアを拡張することを考えます.そして,共同研究者の塩谷泰広氏とともに,そのアイデアがSteidel氏らの発見した天体の性質を矛盾なく説明できることを確認して,急いでそのアイデアを論文にまとめて出版しました*12.これがきっかけのひとつとなって,その後,可視光での遠方宇宙観測の研究にも手を広げていくようになったと思われます*13

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このエピソードについて,谷口氏は冒頭に以下のように述べています. 

長年研究していると,感じることがある.何か関心のあるテーマができると,不思議とそれに関連するよい論文や情報に出会うということだ.結局のところ,ある一つの問題に関心を持つと,その問題に関して敏感になるのだろう.

 

これを読んでいて,ちきりん氏の『自分のアタマで考えよう』 で出てきた「知識を思考の棚に整理する」という話が思い出されました.あるテーマについて関心を持つことで,それまでたくさんの点でしかなかったさまざまな知識がそれに関する思考の棚に整理されていって,そのおかげでそのテーマについての感度が上がるということかなと.そうなると新しい情報はその思考の棚にどんどん整理されていくし,それまで見過ごしていたような一見すると関係のない知識との関連も見出しやすくなる,といったことも起きたりするのかなと思われます.

そういう意味でも,研究に没頭するというか,関心のあるテーマについて考え続ける時間って重要なので,そうした時間をちゃんと確保し続けることが健やかな研究人生を送る上で大事だったりするのかなと思ったりしました.

 

谷口氏の書籍は他にもいろいろ購入して読んで手元にあるので,また気が向いたら読み返してみようと思います.

 

*1:Amazon紀伊國屋書店で見る限り,新品は定価では手に入らなくなっているようです.こういう書籍もどんどん電子書籍化されたらいいのになぁと思います.

*2:ちなみに上の写真は次のwebページより転載:https://alma-telescope.jp/column/6000vol2

*3:現在でいう准教授です.准教授という職階は,2007年の学校教育法改正によって作られました.それまでは助教授という職階がありましたが,その定義は「教授の職務を助ける」というものでした.しかし実際は当時の多くの助教授が,教授から独立して学生の指導や自らの研究に従事していたため,教授に準する資質や能力を持つ立場として仕事内容や位置づけが見直されたんだとか.参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88

*4:学生の頃にケンブリッジに行った際,万有引力を発見したとされるリンゴの木の末裔と言われている木が植えられているのを見に行ったのですが,そんな印象に残るものではなかったような.いま見ると異なる印象を持つのでしょうか.こちらに写真がありました:https://www.murata-brg.co.jp/weblog/2014/02/post_2681.html

*5:次の写真はキングス・カレッジ・チャペル.こちらから転載:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:KingsCollegeChapelWest.jpg

*6:実際,教会や博物館,美術館など観光スポットはいくつかありますがどれも基本的に徒歩圏内で,かといってロンドンなどの大きな都市には気軽に行ける感じではなくて,たしかに研究や学業に没頭するしかない雰囲気があったような.

*7:谷口氏が『銀河進化論』という書籍の章末コラムのひとつで,1998年の一年間にThe Astrophysical Journal Lettersで10論文を出版するという,観測天文学者としてはかなり突出していると思われる多産な時期のことについて記していたのを思い出しました.1998年は,1996年の外遊から三年間に含まれるので,ケンブリッジで得たたくさんの研究アイデアがその10論文にいくらか貢献してたりするのでしょうか.

*8:口径は8.2mで,当時世界最大の一枚鏡を持つ反射望遠鏡だった.参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%8F%B0%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E6%89%80%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%8B%E6%9C%9B%E9%81%A0%E9%8F%A1

*9:その文脈で谷口氏が述べる

研究対象に「旬」はない.だが,研究手法には「旬」がある.

という言葉は印象的でした.たしかに新しい望遠鏡や新しい観測装置などができると,これまで観測できていなかった波長帯がカバーされるようになったり,感度が大きく向上したりすることで,研究が大きく進展しやすいと思われます.その意味で,たしかに研究手法には旬がありそうです.もうすぐ打ち上げが予定されているJWSTも旬の観測手法となって私たちに多くの感動や驚きをもたらしてくれるのでしょうか....

*10:Lya blob (LAB)と呼ばれます.Steidel氏らが発見した天体というのは,おそらくこの天体のこと:https://en.wikipedia.org/wiki/Lyman-alpha_blob_1

*11:最近ではEnormous Lya nebulae (ELANe)と呼ばれる天体もあるような.ちゃんとした分類があるかは知らないのですが,サイズで比べるとLAB < ELANeという印象.

*12:おそらくこちらの論文:Superwind Model of Extended Lyα Emitters at High Redshift - NASA/ADS

この記事を書いている2021年6月時点で当該分野の後続論文に140回引用されているようです.

*13:下の写真はこちらから転載:https://en.wikipedia.org/wiki/Galactic_superwind