幸せ微分方程式 -『三日月とクロワッサン』(須藤靖)
この週末は久々に『三日月とクロワッサン』を読み返してました.
宇宙論や系外惑星などの研究で有名な,東京大学大学院 理学系研究科の須藤靖教授*1が2012年に出版された書籍です.
須藤先生が書かれた書籍には『一般相対論入門』や『解析力学・量子論』などの教科書類があって,学生だった頃にそれらは何度も拝読したのですが,ある時その延長で須藤先生のエッセイ本を読んでしまってそちらの面でもファンになってしまい,それ以来たまに出版されるエッセイ本も地味に楽しみにしてたりします.
須藤先生のエッセイ本は,理系特有というわけではないのですが,一見些細に思えることを理屈っぽく考察していく記述が多い印象を持っています.それはマイナスな意味ではなくて,むしろいずれも読んでいてとても痛快で,思わずクスクス笑ってしまうような内容が散りばめられています.本文だけでなく,長くて多い注釈にも不意打ちをくらうことがあるので,細部まで油断できない書籍です.
この『三日月とクロワッサン』では例えば入試制度についての考察があります.2日程度の限られた時間で受験生の能力を判定することは困難なので,わずかな点差で合否が分かれてしまう現行システムは無駄に厳密であり,いっそ入試の際にサイコロを振らせてランダムな点数を加えることで合否ボーダー付近にいる受験生を確率的に選べば,合格者の多様性を増すことができて現行システムの限界を補うことができるのでは,といったものです(入試サイコロ論).
他にも例えば,ビールを飲む際のオノマトペとして,本文ではプハプハを挙げつつも,それに対して編集担当からグビグビではないかとの指摘があったことを受けて,それらの違いを(長い脚注で)考察してたりします.
それで今回またひと通り読み返してみて,やはり特に秀逸に思ったのが「幸せ微分方程式」です.
人生における本当の幸せとは何かという考察を通して,人生と幸せを記述する方程式を導出する試み.
以下に簡単に紹介してみます.
私たちが幸せを感じるときはどういうときでしょうか.
おいしいものを食べているときでしょうか,友達と談笑しているときでしょうか,ペットと遊んでいるときでしょうか,見知らぬ土地を旅行しているときでしょうか.
一般に,人は人生が良い方へ変化することで幸せを感じると考えることができます.
これは幸せという量が,人生の時間に関する微分に比例することを意味しますので,次のように書くことができます.
さらに,幸せはその時点での人生そのものにも左右されると考えられます.
たとえば,いつも牛丼チェーン店ばかりで食事している人が,たまに松阪牛のすき焼きを食べるとそのおいしさに感動すると思われますが,普段から高級料理店で食事することの多い人が松阪牛のすき焼きを食べたとしても,それほど喜ぶとは思えません.
このことから,幸せという量は,人生の時間変化分をそれまでの人生で割り算して得られる変化率であると考えられます.つまり,
この方程式をもとに考えると,人生という量は必ず正の値を取ることが期待されます.もし負の人生があるとすると,は負ですから,が負であればあるほど,すなわち人生が悪くなればなるほどプラスの幸せを感じてしまう,という常識的に考えて異常な人生が存在してしまうことになってしまいます.それを避けるためには,人生は必ず正の値を取る必要がありそうです*3.
(1)式の方程式を解いてみます.少し書き換えると
つまり,幸せとは人生の対数微分で与えられます.これを積分すると
これを人生について書き直すと,
となります*4*5.積分は足し算ですので,この積分の意味するところは,生まれてから現在の年齢になるまで,日々変化する幸せ度を毎日足していってその総和を求める,ということです.
この積分を1日ごとの区分求積の形で表すと次のようになります.
これを指数関数の積の形に書き換えると
ここで, 日々の幸せが1に比べて十分に小さいとき,指数関数部分をマクローリン展開して二次以上の微小項を無視するとこうなります*6.
具体的に書き下すと,
つまり人生とは,一日ごとに関した幸せに1を足したものを,生まれてからこれまで日々かけ算し続けた結果で与えられることを表しています.これは,毎日の積み重ねの結果として人生が決まっている,という実感にきわめて近いものと思われます.
以上が幸せ微分方程式についての簡単な紹介でした.
元の記述では,須藤先生は素朴なエピソードを予備的考察として導入して,脚注もぜいたくに使ってひたすら楽しませてくれています.さらに,この方程式の相対論的考察についても触れられていますので,興味のある方はぜひ書籍をご覧になっていただけたらと思います.
*2:須藤先生いわく,かのアインシュタインですら気づかなかった重要な関係式ではあるまいか,とのこと.
*3:これはあくまでも仮定であることに注意.
*4:須藤先生いわく,古典力学の作用から経路積分を用いて量子力学を定式化するファインマンの式を思い起こしてしまう教養の高い読者も少なくあるまい,とのこと.詳細は『解析力学・量子論』10章など.
*5:哲学的考察にも微積分の基礎知識が不可欠である,といった記述もあるような.
*6:この近似は日々の幸せが1より十分小さいときに成り立つものなので,日々の浮き沈みが激しい生活を過ごしている人については,この近似式でなく上の厳密な公式で計算する必要があることに注意.